となりのホルモン

普通の人になりたい未発達人間の記録

22年間を振り返って…。新発見、私には「将来の夢」がなかった①

 そもそもなぜ、私は教師を目指したのだろうか…?

 

私は学校が大好き人間で、小中とも皆勤賞。多少熱があっても学校に行けば元気になっちゃう、友達に会わないと退屈でつまらない!大好きな時間は休み時間と給食。信頼する先生と共に思い出を作りました。

 

 こんな経験があれば、多少なりとも教師を目指すことは分かります。しかし私は学校が大嫌いでした。本当に大嫌いです。今でも学校、特に小学校に行くと昔の思い出がフラッシュバックし吐き気がします。

 学校生活は私にとって地獄でした。小学校時代は担任によるいじめが5年間。宗教のようなクラスでした。担任という教祖様に児童は信者、お気に入りの児童はさしずめ幹部でしょうか。残念ながら私は信者にすらならない非人間のようなものでした。担任はイジメの心得を弁えた人間で対象の自尊心を踏みにじる術に長けていました。

 今思うと色々ありましたが、一番堪えたのは激しい吐き気で体調が悪く早退したいと懇願した際なぜかクラスの前に立たされて私対担任のトークが始まった時ですね。

 

 

『どこが気持ち悪いの』『朝何を食べたの』『みんなまるおさんは本当に具合悪いと思いますか?』『熱はあるの』

 

10年以上経っても以外と忘れないものです。

バカらしい質問を延々とされ、結果私は吐き気に耐え切れずその場で嘔吐しました。もちろんゲロは責任を持って片づけさせられました。

クラスメイトが見ている前で嘔吐し床に這いつくばって片づける。

恥ずかしさと惨めさ、不思議と涙は出ませんでした。

 

こんなイベントを乗り越えながらなんとか!無事!卒業しました。

中学校では小学校時代の同級生によるごく一般的ないじめにシフトチェンジしました。これに関しては、私自身の空気の読めなさとコミュ力の無さといういじめられる要因を作ってしまっていた為、割愛しますね。

 

 

まとめ:学校大嫌い!!!!!( ^)o(^ )

 

 

ならば、今私は何故自ら針山に飛び込むようなことをしているのか。

薄々気づいていましたが、私の家族と将来の夢が関係していました。

 

 

 

 

尻切れトンボですが、続きは明日書きます。

 

 

 

 

 

 

初めまして、まるおです。目標は真っ当な「先生」になること

突然ですが、自己紹介します。

私まるおは現在22歳大学4年生。常に人目が気になり、人の評価=存在価値という思考回路。内向的でインドア。できることなら人目に晒されず生きていきたい、引きこもり願望ありの自他ともに認める屑です。又、外出時は顔にモザイクを貼って歩きたいほど全身コンプレックス人間であります。
自身の屑さ加減を語り出したら止まりませんが
・臨機応変さの無さ
・頭の回転の遅さ
・応用力の無さ
・社交性の無さ
・愛嬌の無さ
・容姿の酷さ
・気が利かない
・暗い……等々多岐に渡ります。自尊心など疾うの昔に捨ててしまい生産性のないこんな自分が生きていることに疑問を感じつつ、罪悪感で潰されそうになりながら日々生活しています。

 こんな人間が、どこで道を誤ってしまったか、今年の四月から教師になることが決まりました。
 「教師」と聞くと一般的に明るく、社交性があり、主体的でリーダシップがあり信頼される人間…を連想します。世の教師が全てそうだと言い切れませんが、私の中の教師としての必要最低限の教師としての理想像はこのような点が挙げられます。


 おかしいですね。
 なぜ自分が教師の道を選んでしまったのか。そもそも私は人前で何かを話す以前に声を出すことが大の苦手です。なぜなら自分の声が嫌いだから。人の上に立って物事を進めるなんてもってのほか、子どもだって好きではありません。子ども以前に人間に恐怖を感じます。

 ならば、なぜ私は教師を志したのか?私の今までの行動があまりにも自身の内面と矛盾しすぎており、疑問を持つと同時に22年目にして初めて自分と向き合おうと決心しました。このブログはあくまでも私のつぶやきにすぎません。ぶつぶつぶつぶつとつぶやく中で何か変化を見出していけたら幸いです。